僕がゆるく生き始めるまでの流れです。
■略歴


本名:箕輪裕也(みのわ ゆうや)
1975年5月27日生
横浜生まれ。
タイ王国にて、タイ古式マッサージ・ハーブボールの資格取得。
■1998年3月 二松学舎大学文学部国文学科卒



6歳からフルコンタクト空手を始め、幼い頃から『何故、怪我をさせる必要がる
あるのか?』という疑問を持ちながら様々な武道や格闘技を練習する。しかし、
武道や武術の奥深さにも興味を深めていく。

大学卒業後、某上場企業に入社するが、どうしても幼い頃からやっていた
格闘技に集中したかったため2000年3月に退社。

第3回総合格闘技大会重量級3位、コマンドサンボ普及大会重量級優勝など
活躍するも、徐々にリング上で戦うことに違和感を覚え始め、
全く勝てなくなり試合には出なくなる。酷い挫折感に悩む。
■2001年4月


社会人時代の貯金もなくなり目標を見失いかけていたが、武道や武術、
格闘技の技術(施術も含む)をもっと社会還元できるのではのではないかと
考え始める。世田谷区の公共施設を借りて、某武術団体の先生等から教わった
施術とキック等の格闘技をを融合させたエクササイズ『キックネス』を立ち上げる。
敷居を下げ誰もが参加できる効果的なレッスン作り志すも、
最初の1年目は参加者は4人だけ。この頃は施術はすべて無料で実施。


■2002年


試合には出ないものの、一般人でも使える護身術の模索や自身の武術への興味
また、船橋武術研究会等で施術の方も様々な先生について教わる。
この年の4月に読売文化センターでキックネスのレッスンを開始。
ここから着々と、東京、神奈川、埼玉、千葉とレッスンや施術を広げていく。


■2005年


キックネスのオリジナルプログラムの前半部分のみを実施する。
骨盤矯正のレッスンを開始。開始と同時に時流に乗って、ボクササイズブーム
が終わりを迎え急激に減ってきた生徒数が、また爆発的に増えてくる。
■2008年


この頃、レッスン数も週に30を超える。隔週行われるレッスンが主体
なため生徒数も300〜500人は平均していた計算になる。
しかし、自分の理想との食い違いに違和感を覚える。そんな時に、
友人に勧められタイに渡る。マッサージだけではなく、
タイの様々な文化に触れ、さらに体の改善や癒しに対して探究心が深まる。
■2010年〜2011年2月
 
もっと、理想的な施術やレッスンをしたいと考え、スポーツクラブやサロン、
カルチャースクールを段階的に解約し2011年12月に全て終了。
時間が空いたのもあり、前々から興味を持っていた介護の職に就く。
8ヶ月間ほど老人ホームにて介護の仕事をする。
施設内で寝たきりの方や高齢者の方に施術の方も実施。
さらに自分の見識を深めていく。



NHK文化センター
潟Jルチャー
産経学園
シダックスカルチャークラブ
東京カルチャーヴィレッジ
読売文化センター
WOW’D
コナミスポーツ
他、多くのスクールやスポーツクラブ等で施術やレッスンを
実施するも現在全て終了。また、イベントも多く開催。


■2011年3月


出店準備を進めている矢先、東日本大震災が起きる。
震災直後からボランティア活動を開始する。
ボランティアサークルである東日本大震災を癒すセラピスト委員会を立ち上げる。

■2011年6月15日
予定より1ヶ月遅れたが、タイ古式マッサージ骨盤矯正の専門サロン
『MINOwhatch』をオープン。現在に至る。